こんにちは、関根です。
先日「はじめての結婚記念日と赤ん坊の話。」という記事を公開したあとに、たくさんの祝福コメントをいただきました。
本当にありがとうございます。
一回一回、感動しますねぇ。
妻の陽夏と2人して、心から喜び、感謝しています。
僕には2つ年が離れた兄がいて、妊娠の報告をしたときにニコニコしながらスマホをいじり始めました。
「ふんふん、お祝いってだいたい5千円から2万円ぐらいなのか!いつ渡すのがいいのかな?あんまり早いとプレッシャーかな?」なんて言っていました。
僕の兄貴はそういう人で、結婚したときに祝儀をくれたとき、妻の陽夏にも取り分がいくようにとちゃんと分けて渡してくれるぐらいいろいろ気を遣ってくれる人です。
どんなに「ううん、お金いらないよ!」と遠慮をしても、それは通用しなくて、「それはダメ!」と言われてしまうんですね。
報告したときも、「兄貴のことだからお祝いとか言ってくれるんだろうなぁ」と思っていたので、予め決めていました。
「お金じゃなく、残る物をお願いしよう!」と。
というのも、お金をもらったとしても、そのお金ってなにを買ったか不透明ですし、買ってもらった感がなくてなんだか少し寂しい気がするんですよね。
それならば、子供が少し大きくなって、兄のことや言葉が認識できるようになったときに、「これ、伯父さんが買ってくれたんだよー!」って言ってあげられるじゃないですか。
そうしたら兄も嬉しいと思いますし、子供だって感謝の気持ちが芽生えて、伯父さんに懐くかもしれない、物のありがたみを勉強できるかもしれないと思ったんです。
5千円なら5千円で予算を決めてもらって、その予算内で買えて、なおかつ数年は使えるものをお願いしようと。
たとえば数年使えるものとして、ベビー布団、おもちゃ、ベビーカーなどですね。
なので、「オムツ代にする」とかは無し!
子供が大きくなったときに、「◯◯ちゃんが履いてたオムツ、伯父さんが買ってくれたやつも含まれてたんだよー!」と言っても、実感が湧かなすぎてポカーン状態だと思うので。
一般的にはお祝いは現金のほうがありがたいみたいですけど、僕は、いただいた相手との思い出も残したいので、断然「物」が嬉しいんですよね。値段とか質じゃなく、形ある物のほうが感動します。
普段、見返りを求めて行動せずにいると、自分が取っていたような行動を相手がしてくれます。
これが「相手は自分の鏡」というものです。
兄がこういう気持ちでこういう振る舞いをしてくれるから、僕は日頃からそれ以上の愛を与える振る舞いをします。
そして、僕がこういう考えでいるからこそ兄らしい形でそういった振る舞いをしてくれます。
どっちがすごい、どっちが偉いとかじゃなく、なんなら血の繋がりがあるなし関係なく、これが人間関係の本質だと思うんですね。
「自分はこうしたのに!」と見返りの心を持ってしまえば相手の行動に期待をするようになります。言い換えると、相手の行動に自分の感情が支配されます。
逆に「自分がしたいからこうした」と見返りの心を持たなければ、相手の行動に期待をする必要がなくなります。言い換えると、自分の行動と感情を自分が支配できます。
無意識に、見返りを求めず、自分が多くを与える存在になることで、自動的に多くを与えられる存在になっているんです。
与えてもらうのが当たり前と思ってる人、与えられてもそのままの人は、いつか必ず「与えてもらえない人」になります。
それでいて「なにもしてもらえない」「自分は愛されていない」「自分は不幸だ」と言い出してしまうんですね。
自分の思考や行動の振り返りってかなり大切です。
冒涜でお話した祝福コメントもそうですが、最近与えていただくことが多いなぁと感じていて、感謝をしつつ、僕自身もしっかり与えることができているんだなぁというバロメーターになります。
与えてもらえない人は、気づきが弱い人であり自分が与える存在になれていないということ。
与えてもらえている人は、それに気づけているということと、自分が与える存在になれているということ。
「人の振り見て我が振り直せ」ならぬ「人の振り見て我が振り確認せよ」です!
— 関根 浩平|エンパシスト・マインドプロデューサー (@cekineco) May 4, 2020
生きづらさからの解放や悩みの根本改善、成し遂げたいことの実現は「ROOT MIND PRODUCE」にてコンテンツを公開していますので、よろしければご覧ください!
YouTubeにて、ラジオ感覚で聴ける無料の「聴くセッション」も配信中です!
それではまた!