HSP=めんどくさい自分との戦い=戦わないという選択。

めんどくさい自分にめんどくさくなることがあって。HSPの特徴とかあるあるみたいなのを見ると、やれ「気にしすぎる」だの、やれ「顔色を伺って空気を読む」だの書いてある。

だから「疲れちゃうよねー」からの「自分らしく生きよう」みたいな結論を持ってくる。

もちろんその通りだし、別にここに対して何かを思ってるわけじゃない。何かを思ってる部分は自分自身の心の中。

 

生まれつきのHSPと後天的なHSP

HSPを掘り下げていくと、病気ではなくてただの気質。もっと言うと、HSPは「繊細さん」と表現されることがあるから、それが生まれつきのものでも後天的なものも含まれてるんだと思う。

生まれつきでいうと「遺伝」など、何らかの影響で最初から繊細であること。

後天的なことでいうと、幼少期に仲の悪い両親の顔色を伺いながら生きていたとか、怒鳴られないかビクビクして生きていたとか、そういう家庭環境で育った子は繊細かつ気にしい、顔色を伺う子になりやすい。

こうやって活字にしてみると、後天的なHSPの人ってなんだか気の毒。親の責任だなんて今ここで言うつもりはないし、「責任」の話をするなら二十歳超えてたらすべて自己責任になっちゃう世の中だから。

 

責任の押し付け合いって好きじゃない。

なにかと善悪を決めたがる人が多いし、責任が誰にあるのかを決めたがる人が多いように感じるけど、そこに何の意味があるんだろーか。自分が安心するため?自分は悪くないって思うため?言い訳にするため?

どれもこれも自分のためにはならないし、僕にとって大切なのはそこじゃない。

自分がどんな理想の生き方を持って、どんな風にその理想の生き方、ライフスタイルにすることができるのか、それで体感としてしっかり「幸せだなぁ」と感じることができるのかどうか。

他の人の幸せの形は僕にはわからないからなんとも言えないけどね。

美味しいものが食べられたらそれでマジで幸せなんだぜ!って人がいてもおかしくないし、そのためにお金を稼ぐし、ちょっとぐらい仕事が嫌なくらいのほうが美味しいものを食べたときの幸福感がデカイ!って本気で思ってる人がいたら、それはその人の幸せの形なんだなって思うし。

 

HSPだから幸せになれないのはおかしい

で、職業柄と職業病の両方で日頃からHSPのことを考える機会が多い。

そこでふと思った。「HSPだからどうのこうの」というセリフや文章。そもそもこれ自体がおかしいんじゃないかって。

だってHSPじゃない人でも多少は人の顔色伺うだろうし、メンタルが弱ってるときは誰しも不安になったり、ちょっとした誰かの言葉に傷ついたりもする。

なんなら、HSPかどうかなんて関係なく人はちょっとの歯車のズレで病むし、自信がない人だって多い。だから、HSPがどうとかは人生における幸福度とか、誰かから愛されることとか、誰かを愛することとか、まったくもって関係ないんだろうなって。

 

豆腐って白いよね!

納豆ってネバネバしてるよね!

 

極端かもだけど、HSPもただの特徴とか性質であって、それ自体の善悪もきっとない。そう思ってるとそんな気がしてきた。

こうなってくると、今度は「それはそう思い込んでるんじゃないか?」という自問も出てくる。

はい、めんどくさい僕ちん。ただそれについても案外シンプルで、多かれ少なかれ人は思い込みに支配されてるところはあるし、それに良い思い込みと悪い思い込みがあると思ってる。

これについては、自分をプラスに持っていける思い込みだから、むしろ思い込みの力を使って自分をプラスに持っていけばいい。きっとね、こういう自問自答が趣味なんだな。

 

戦闘民族じゃないから戦わない

自分でも不思議なんだけど、口では「こういう人嫌いだわー!!!!」って言うことはあっても、冗談8割で本心ではない。顔も見たくもない人、喋りたくもない、何か言ってやりたい人はほぼいない。

戦闘民族じゃないという見せ方のビビリだからというのもあるけど、誰かとマウントを取り合ったって正直楽しくない。あ、家族がもし誰かに仕掛けられたとしたら大喜びで挑みますよ。

それでも基本は「言わせとけ」精神なことには変わりない。

 

ただこれまた不思議なもんで、自分自身とはよく戦おうとするんですよ。「理想の自分 vs そうじゃない自分」みたいな。

理想と自分っていうのは、「小さいことに気にしなくなりたいなー」とか「あーあ、また空気読みすぎちゃったよ」とか、HSPの特徴でよくあることたち。

理想だけが独り歩きしてるだけで、現実はそうじゃない。瞬発的にやっちゃうものだし、気がついたら気にしてるから、呼吸レベルの無意識と飛び抜けた反応速度なわけで。

 

根っからの戦闘民族だったら、なんのこれしきー!!!てきな感じで、自分を強く否定して、何なら認知的不協和をいいとこ取りして自分の今いるステージに違和感を覚えさせることもできる。

でも無理だ。敏感すぎる。機敏すぎる。自分の感情が。

 

ってなことを考えていくと、「戦うからいけないんじゃないか」ってところに行き着く。じゃあ「戦わないためには?」と自分に問いただすと、「負ければ良い」になる。この場合の負けるは、認めることと同じであって。

そういう意味で、さっきの豆腐が白いくだりとか納豆のネバネバの件が自分の中ではしっくり来る。

たぶん豆腐だって納豆だって、疑問を持って掘り下げていったら白くない豆腐、ネバネバしない納豆も実現できるのかもしれない(豆腐に関しては白くないのもあるけど)。

でも、別に白い豆腐で満足してるし、ネバネバしてる納豆で満足してるから、僕はそこに疑問を持つことはない。僕の中ではHSPもそれと同じ感覚ってだけ。

 

今自分がHSPで荒れ狂うぐらい苦しんでたらこういう考えは持てなかったかもしれない。それに僕の場合はチートを使ってる。自分が持つHSPだったり、エンパスという気質を使ってお金をもらってる。

自分の中のことだから、じゃあHSPの気質の何%を仕事に使ってるかなんて知らない。そんなことはどうでも良いしツチノコを見つけるほうがきっと早いよね。

そう思うことで救われる自分がいるのが事実なわけだから、そこだけ切り抜いてその事実だけをプラスに捉えることで人生が楽しくなった。HSPってただそれだけのこと。