良心と生活のジレンマ。

別に善人ではないけど、悪人だとも思ってない。

善人でありたいとは思うけど、そもそも善人ってなんなんだろうね。誰にとっての善い行いなのか、それとも神的な存在に対しての善い行いなのか、定義が曖昧のような気がして。

で、この間お風呂でボーッとしてたら、「本当はお客さんが来ないほうがいいんだろうな」と急に思った。何の前触れもなかったもんだから、「なんの話?!」ってツッコミたくなるくらいに。

でもその真意は5秒ぐらいでわかった。というか気付いた。

 

僕の仕事は、ざっくりいうと困った人を助ける仕事。なんか助けるっていうとおこがましいけど、きっと「助けてほしい」という気持ちは少なからず持った人たちがお客さんってことだよね。

ってことは、自分が仕事をするイコール、個人のお客さんであれば恋愛や結婚、心の問題や人間関係で悩んでいるということ。法人の取引先であれば、ホームページや集客のことで悩んでいたり、リーダーや部下の育成、会社全体のバランスに悩んでいたりする。

 

お客さんとかしんどい思いをしてる人、苦しんでる人から感化されることはあるし、家族や身近な大切な人たちにも当たり前だけど幸せになってほしい。

自分には成し遂げられないことをすれば「チキショー!羨ましいぜ!」とちょぼっと嫉妬はするけど、それでもそんな人の近くにいられて嬉しくもなったりするかな。

だからといって鼻息荒くして「世界平和を望んでます」なんて言えないし、心からそれを望んでるわけじゃないと思う。そんなデカイ話、僕には無理だもん。しんどすぎる笑

 

でも今の仕事を始めたということは、自分の出来ることとか得意なことで誰かを助けたいと思ったからであって、その気持ちは本当。

でも僕がこの仕事をし続けるということは、困っている人がいなくならないという無意識な前提が自動的にあるようにも思える。困ってる人を助けたいのに、自分の生活のためにこの仕事をし続けるという良心と生活のジレンマがあるなぁって。

 

ただ、見方を変えれば、目的や理想があるから悩みが生まれるわけだから、「悩みがある」の本質はポジティブなことなのかもしれないよね。

そのポジティブな未来のためのコンサルってことは、良心と生活のジレンマなんてものはなくて、良心だろうが悪心だろうが、僕が自由な目的を持って、必要とされるところに行くのがベストなんだとも思う。

成果が出なければ必要とされないってだけの話だから。

 

最近、「情弱」についてめちゃくちゃ深く考えることがあったから、こんな風に考える機会が生まれたんだと思うなぁ。

お金は欲しいけど、自分の中で汚ねぇと思うようなアプローチの仕方では仕事をしたくないなーって思ってて、単なるカッコつけとかプライドなんだと思うけど、少なくともおばあちゃんに高性能すぎるスマホを売りつけるようなやり方で商売はしたくない。

また情弱については一回ちゃんとこのブログで気持ちをまとめようかな。

 

そんなことをお風呂で考えてきたらなんだか笑えてきた。

「へぇ、ちっとは良心とかあるんだな。んま、それが良心かどうかは知らんけど、子供に自慢できないようなことはしたくないってことか。」ってな感じで、関西人だったら「俺、やるやんっ」ってなるやつ。

 

でも思う。

良心だかなんだかいろいろ言ってるけど、悪どいことができない理由はただのビビリだからってこと。捕まりたくないし訴えられたくもないじゃない。めんどくさいしお家に居たいし。

だから責任を負える範囲で、得意なことで誰かの役に立てる仕事をするってだけ。