こんにちは、関根です。
まずはじめにご報告が。
10月3日3時41分に、元気な男の子が産まれました!
元気な赤ちゃんが生まれるようにと願ってくださった方々、本当にありがとうございました。
母子ともに元気で、明日7日の退院を予定しています。
突然の出来事でした。
予定日は10月18日。
切迫早産で自宅安静でほぼ寝たきり状態を1ヶ月半続けていた妻だったので、早く生まれる可能性は十分にあったのですが、10月1日の検診では、「もう歩かなきゃダメだよ〜」と先生から言われていたそうです。
初産だし、もしかしたら予定日超えちゃうかもね〜なんて話していたんですね。
10月2日の夜、いつもどおり一緒にご飯を食べました。
「お腹いっぱい。でもちょっとだけ生理痛みたいな感じがあるかなぁ」なんて妻が言ってたんですね。
僕はリビングで仕事したり、Amazonでオムツやおしりふきを注文したりしていました。
21時頃になると、生理痛のような痛みが強くなり、これが「陣痛」であるということがわかりました。
まだその痛みの間隔が15分〜20分程度のときに、産婦人科に電話をしました。
「陣痛の間隔が6分〜7分になったらまたお電話ください」とのことで、そのまま自宅待機。
妻はベッドに行き、僕も横で様子を伺いながらいろんな話をしていました。
たまに襲ってくる陣痛が落ち着くと、愛犬ころんをかまってみたり、「こんなんいいつつ、あと2週間ぐらい産まれないこととかもあるらしいよ?」なんて話してみたり。
とはいえ、いつ本格的な陣痛が始まってもいいように先月から準備だけはしていました。
入院バッグ完璧。
僕がいないときのタクシーの手配完璧。
日付が変わり、10月3日なりました。
このときもまだ「たまに痛いけど、まだ歩ける感じ」と話していました。
「今日はこのまま朝まで過ごすのかな?じゃあ歯磨きしとこ」と、痛くないときを見計らって歯磨きもしていました。
ところが深夜2時を過ぎたあたりから急変。
陣痛の間隔は若干短くなったくらいですが、痛みが強くなったみたいです。
11分間隔のときもあったり、9分間隔のときもあったり、なかなか安定しなかったんですね。
ネットでググってみても、だいたいどのサイト(産婦人科の医師や助産師さんのコラム)を読んでも「間隔が安定してから」と書いてあるんですね。
そうなると妻も、「また電話かけても、病院と家が近いからもう少し様子見てからにしよっか」と言われると思って、ギリギリまで待とうとするわけですね。
そして深夜2時半ごろ、どう考えても妻に余裕がなくなったように見えました。
痛みからの嘔吐もあり、これは流暢に自宅待機してる場合じゃないぞと。
陣痛の間隔は相変わらず安定していません。
「いたい、いたい」ともだえる時間も増えたので、妻に電話をかけようと伝えました。
なんとか電話をかけると、「入院の準備をしますので、こちらに向かってください」とようやく許可がでました。
ところが、この段階で妻はもう歩ける段階にはなかったんです。
後日談ですが、「立ったら赤ちゃんが出てきちゃう」と思っていたそうで、ひたすら痛みに耐える叫び声。
ちなみに自宅から産婦人科までは深夜であれば2分程度です(家から産婦人科が見えるレベルで近い)。
車にさえ乗れたらもう大丈夫だと思っていたので、抱っこして車へ。
「おお、腰に効くね」なんて思いながらもスピーディかつあまり揺らさないように車になんとか乗せることができました。
大学病院などの大きい病院ならば開いてるかもしれませんが、妻が出産した産婦人科は夜間は開いていません。
なので、インターホンを押して扉を開けてもらう必要があるんですが、妻はこんな状態なので僕がインターホンへ。
「今扉を解除しますので…」
と対応してくださった方の言葉を遮り、
「今、歩ける状況にないんです」と伝えると、車椅子を持って看護師さんが出てきてくださいました。
苦しみ叫び続ける妻に看護師さんは慣れた感じで深呼吸するように促し、落ち着いた瞬間を見て妻は車椅子に移動できました。
そのまま妻は分娩室へ直行。
2回目の電話のときにスピーカーフォン越しに「ご主人さまは長くは一緒にいられないんですが…」と聞こえていたので、すぐに帰されるのかなと思っていました。
というより、看護師さんも初産で出産予定日が半月後だったので、まだ生まれるレベルではないと思っていたのかもしれないですね。
妻が分娩室に入るときに、「ご主人はこちらでお待ち下さいね」と、分娩室近くの廊下で待機。
その間に僕の両親や妻のお母さんには念の為に現状報告しておきました。
僕はこの時点でも今日生まれるのかすらわからなかったのですが、看護師さんが「立ち会い希望ですよね?もうちょっとだと思うのでもう少し待っててくださいね」と。
ということは…もうすぐ生まれるんかい!となったわけです。
誰もいない暗めの廊下にぽつんとただひとり。
聞こえてくる音といえば、妻の苦しむ声と助産師さんと看護師さんの励ます声やアドバイス。
「がんばれぇ」と心の中で応援することしかできません。
「じゃあ、ご主人こちらへ!このガウンに着替えてこちらで待っててくださいね」とようやく立ち会いができる段階へ突入。
心の準備なんてする余裕はなかったんですが、妻も妻で心の準備がないまま分娩室へ入ったわけで。
分娩室に入ると、先生1名、助産師さん1名、看護師さん1名が妻のサポートをしてくださっていました。
僕は妻の頭側に立ち、ひたすら応援。というか励まし。
10分後、僕の視界にまんまるな頭のようなものが見えました。
次の瞬間、小さな小さな赤ん坊の姿が。妻に「もう産まれたよ!」と妻も見えてるだろうになぜか報告。
普段の妻なら「見えてるわ!」とツッコミを入れてくれるところですが、それどころじゃないんでね。
そんなこんなで病院に着いてから約45分後の3時41分に産声をあげました。
2668グラムのちょいと小さめな男の子です。
朝方まで僕は妻と産まれたばかりの赤ん坊と一緒に分娩室にいることができました。
「ご主人は赤ちゃんには触れないんです〜」という注意を受けていたので、もちろん我慢です。
本格的な陣痛から出産までが目まぐるしいスピードで、今振り返っても全部が3倍速です。
妻も、「頭が全然追いついていない」と話していて、まだまだこの日は実感も湧かなかったそうです。
出産した日のお昼、妻は立ち会ってくださった看護師さんからこんなことを言われたそうです。
「旦那さん、すごい冷静だったね!」と。
自分でも、もう少しテンパる素振りを見せたほうがいいんかな?と思うぐらい、本当に冷静でいられて、陣痛の段階から「どうすることが一番良いか」を冷静に考えることができました。
というのも、気を抜くときっとテンパってしまうと思うんですね。
ですが僕は、「取り乱したらなにかで必ず失敗する」と心から強く強く思っているので、日頃から平常心でいるトレーニングをしています。
その思いがあったからこそ、妻がどんな状況になっても冷静でいられたんだと思います。
(冷めてるって思われてなきゃいいですが、愛想は良いほうなのでそこはきっと大丈夫。)
でも1つだけ反省があるんです。
陣痛のとき、僕があと15分早く決断できていたら、妻はもう少し不安や恐怖を和らげて病院に行けたんじゃないか?と。
妻に「もう少し早く判断してあげられてたら良かったね〜」と言うと、「あれは無理じゃない?自分でもびっくりだし、こうなるなんて予想できなかったもん」と言ってくれました。
それでも僕はそこまで予想したかったし、関根家において僕がその役目だと自覚もしているのでちょっと悔しい気持ちです。
決断のタイミングって本当に難しいです。
でも、僕にとって今回の出産すべてが良い経験になりました。
本当に、妻も赤ちゃんもがんばってくれました。
ありがとー!!
さてさて、最後に少しだけ赤ちゃんの話。
通称「ぷんた」です。
なぜかわからないんですが、僕らはお腹の中にいる段階から子供のことを「ぷんた」と読んでいました。
ぜひ「ぷんた」で覚えていただけたらなと。
やっぱり可愛いですね。
面会には1日30分、赤ちゃんとはガラス越しでしか会えませんが毎日行って様子を見ています。
新生児室の前で妻とおしゃべりしながらぷんたを見ているんですが、なんだかその時間がものすごく癒やされます。
生きてるから当たり前に動くはずなのに、ちょっと動いただけで「あ、動いた」と言ってしまいます。
このブログでは今後出産や育児についても書いていこうと思っています。
専門家じゃないですし、パパ1年生なんですが、精神面の専門家として僕なりの考え方を綴っていけたらと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします!